『三省堂書店百年史』(三省堂書店、1981年)目次
序にかえて (一)
将来に志向するところ
凡例 (六)
創業史・前史(明治14年以前) 一
一 三省堂と神田の触れ合い 二
〔1〕 神田の地名の起こり 二
〔2〕 江戸城と太田道灌、そして徳川家康 四
〔3〕 家康の城下町造り 五
〔4〕 内神田と外神田 八
〔5〕 神田の川と橋 八
〔6〕 神田神保町の由来 一〇
二 明治文教の拠点、神田の学校―発端は東京大学の設置から― 一三
〔1〕 幕府の学校-官学の推移 一五
〔2〕 明治政府の学校 一六
〔3〕 私立学校の蝟集 一九
三 明治初期の書籍業-新興出版書店の台頭― 二一
〔1〕 明治初期の本屋組織(書林組合) 二一
出版条例二二
〔2〕 新興出版書店-スタートは古本屋 二三
八品商取締規則の制定二四
〔3〕 明治初期の本屋の店構え 二六
明治十三年ごろまでの書店創業者抜粋 二七
四 初代店主亀井忠一と萬喜子の家庭(亀井家の歴史抄)―士魂商才の夫・貞淑内助の妻― 三〇
第一期 亀井忠一個人経営時代(明治14年~大正3年) 三三
年表 三省堂書店の歩み―出版・書店業界―世相の動き 三四
一 三省堂書店の創業―古書籍商からの出発― 四五
〔1〕 亀井忠一と創業前後 四五
〔2〕 人生の転機 四六
〔3〕 店舗づくり 四七
〔4〕 加藤鎮吉と亀井忠一 四八
二 神保町通りの同業者 四九
(参考1)古物商取締条例の布告-新刊店と古本店の分離
(参考2)古物商取締法の公布について
三 明治前半期の出版物とその傾向―明治二十五年に古本売買をやめるまで― 五三
〔1〕 明治前半期の出版物より 五三
〔2〕 思想・思潮部門 五四
〔3〕 通俗・読物部門 五五
〔4〕 政治小説と翻訳小説部門 五六
(参考1)明治前半期出版物抜粋表 五七
(参考2)出版物取締りの変遷―明治初期より昭和十年ごろまで― 六〇
四 出版書店への道―明治十六年より三十年ごろまで― 六二
〔1〕 翻刻本に着眼する 六二
〔2〕 同盟書房の結成 六二
〔3〕 同盟四書房に初仕事 六三
〔4〕 同盟六書房より八書房へ 六四
(参考)同盟書房関係出版の翻刻本抜粋(明治三十一年まで) 六四
〔5〕 同盟書房の終局 六七
〔6〕 萬喜子の外国語学習 六八
〔7〕 編集部門へ斎藤精輔の加入 六九
〔8〕 辞書の分野へ 六九
わが国初の小型辞書-英和袖珍字彙 七〇
〔9〕 ウェブスター氏新刊大辞書和訳字彙の刊行 七一
―三省堂の冒険事業の第一回目―
|思い出|磯部弥一郎
〔10〕 英和袖珍新字彙で連続ヒット
〔11〕 教科書の分野へ 七五
1 教科書の草分け-スミスの代数 2 三省堂編輯所設置
〔12〕 雑誌と単行本の分野 七七
五 神田の大火と三省堂書店 七七
〔1〕 明治二十五年四月十日の大火災 七七
〔2〕 ブリンクリー和英の原稿焼失 七八
|思い出|不死鳥のような気概 岩崎行親 七九
〔3〕 改装された新店舗 八〇
〔4〕 古書籍売買を廃業する 八一
六 直営印刷工場の話―神保町・美土代町・錦町・三崎河岸まで― 八二
付 神田の大火後の駿河台下付近 八三
七 亀井忠一個人経営時代の「出版部」―主として明治二十五年ころより大正元年まで― 八四
八 三省堂表本器具部と大正二年の神田の火災 八九
九 日本百科大辞典刊行の記録―出版から蹉跌・復活から完成― 九〇
〔1〕 出版までの経緯 九〇
〔2〕 大隈重信と亀井忠一 九二
〔3〕 三省堂版-日本百科大辞典第一巻観光披露祝賀園遊会 九四
〔4〕 百科破綻以後 九四
〔5〕 日本百科大事典完成会の結成 九五
付 日本大百科大辞典普及会の成立 九六
〔6〕 斎藤精輔、百科大辞典を語る 九六〇
〔7〕 三省堂破綻後の亀井家 九八
百科大辞典〔写真ページ〕 一〇〇
一〇 神田書店街の移り変わり―大正二年の大火後の三省堂書店― 一〇五
〔1〕 大火後の神田書店街 一〇五
〔2〕 三省堂書店は完全に新刊小売書店となる 一〇六
第二期 三省堂小売部時代(大正4年~昭和2年) 一〇七
年表 三省堂書店の歩み〔(株)三省堂の歩み〕―出版・書籍業界―世相の動き 一〇八
一 株式会社三省堂の新設(出版・印刷二部門を継承)―大手町の独立社屋へ移るまで― 一一五
〔1〕 新会社設立の経緯 一一五
〔2〕 新会社の事務所 一一六
〔3〕 小売部となった書店から新会社へ配転された人々 一一六
〔4〕 第一期(営業)の終わりに増資 一一八
〔5〕 小林箕三郎社長の方針 一一九
〔6〕 二代社長の決定 一一九
〔7〕 漸次発展の段階へ 一一九
〔8〕 大正九年ごろの出版部 一一九
〔9〕 新会社として更に二つの思い出 一二一
〔10〕 永井茂彌の入社 一二二
〔11〕 株式会社三省堂(通称出版部)の社屋移転 一二三
二 社内通称「小売部」となる三省堂書店―若い店主亀井豊治の決意と判断― 一二三
〔1〕 創業当時に戻る 一二三
〔2〕 通称を三省堂の小売部 一二三
〔3〕 若い店主の亀井豊治 一二四
〔4〕 小売部となった書店のプラスとマイナス 一二五
三 独立する古参店員―主家三省堂の復興を見届けて― 一二七
四 三省堂小売部と取次店―東京見物の新名所になる小売部 一三一
〔1〕 書籍関係の取次店とは 一三一
〔2〕 書籍・雑誌取次制度の経緯 一三二
〔3〕 小売店と取次店 一三三
〔4〕 三省堂小売部と取次店 一三三
五 三省堂タイムズの創刊―創業四十周年記念企画― 一三五
〔1〕 創業四十周年記念に 一三五一
〔2〕 組方と体裁 一三六
〔3〕 タイムズの内容 一三六
〔4〕 三省堂タイムズで求人案内 一三八
〔5〕 店員マーク(バッジ)の質疑と投書 一三八
〔6〕 三省堂タイムズの移り変わり 一三九
|思い出|三省堂タイムズと萬喜子夫人 佐藤源太郎 一四〇
六 関東大震災の三省堂書店と従業員 一四一
〔1〕 震災前(大正十年を中心に) 一四一
〔2〕 震災後(大正十四年を中心に) 一四三
七 関東大震災の思い出 1―焼ける店の殿りをする― 天童頼太郎 一四五
八 関東大震災の思い出 2―ぐらぐらと来たその時から― 落合忠夫 一四七
九 レコード部を設ける―多角経営時代のさきがけ― 一五〇
十 洋書を和書と並べて売る(変則的な洋書の売り場)―震災後、バラック建ての店で― 一五一
十一 洋品部はこうして出来た―おいらのポケット・マネーで― 一五三
十二 文房具部の開設(「本はもうかりません」としつげんしたばかりに)―元手はわずか壱千円― 一五五
十三 寄宿舎生活の追想―昭和三年まで― 一五七
十四 売り場の花形 コンサイス辞典とインディア紙の評判―初代店主亀井忠一の功績― 一六〇
十五 大奥さまと敬慕された故亀井萬喜子刀自の追想録より 一六三
坂本嘉治馬-白井茶翁-上原才一郎-小牧喬定-笹川臨風-佐伯好郎-薗田三佑雄-小川藤三郎-高岡一雄-田山宗興-川野秀松
十六 大正四年ごろから昭和三年ごろまでどんな本が読まれたか―文学書のジャンルより― 一七六
第三期 三省堂書店法人化時代(昭和3年~昭和20年) 一八五
年表 (株)三省堂書店の歩み〔(株)三省堂の歩み〕―出版・書籍業界―世相の動き 一八六
一 三省堂書店の法人化―学生のデパート売り出しを控えて― 一九二
〔1〕 設立より増資まで 一九二
〔2〕 新社屋(新店舗)の建設経緯 一九三
二 業界屈指の亀井兄弟 一九四
〔1〕 兄の社長と弟の常務 一九四
〔2〕 亀井寅雄語録より 一九六
〔3〕 亀井寅雄の書籍小売業感 一九七
三 三省堂の創業者を偲ぶ―亀井忠一顧問の本屋談義と語録― 一九八
〔1〕 亀井忠一顧問の「本屋談義」 一九九
〔2〕 亀井忠一語録 二〇〇
四 「学生のデパート」売り出す―昭和五年より昭和十年ごろ― 二〇一
〔1〕 仕事は人物から 二〇一
〔2〕 宣伝強化が当面の対策 二〇三
(1)宣伝スタッフの結成
(2)高橋錦吉の宣伝資料メモ
〔3〕 外部向け宣伝のいろいろ 二〇七
〔4〕 店頭(店内)宣伝強化に切り換え 二一五
五 学生のデパート・三省堂書店で小売部長を務めた人々―昭和三年より同二十年まで― 二二〇
〔1〕 小売部長の職制 二二〇
〔2〕 川野秀松小売部長のころ 二二一
〔3〕 学生のデパートを組織づけた永井部長 二二二
〔4〕 経理畑出の柳下部長のころ 二三〇
〔5〕 戦時を生き抜いた難波田部長 二三三
「学生のデパート」〔写真ページ〕 二三六
六 三省堂特設防護団(総務班の記録より) 二五〇
七 日本本土へ敵機-昭和十七年 二五九
〔1〕 始め良く終わり悪し 二五九
〔2〕 営業食堂の閉鎖 二六〇
八 戦局悪化、業界不安-昭和十八年 二六〇
九 宣伝日記は語る―昭和十七年、十八年の三省堂書店― 二六一
十 生き残った三省堂―昭和十九年、二十年― 二七一
付 学生・生徒のための名著選―昭和五年ころより昭和十四年、五年まで― 二七三
第四期 戦後の経営時代(昭和21年~昭和35年) 二七九
年表 (株)三省堂書店の歩み〔(株)三省堂の歩み〕―出版・書籍業界―世相の動き 二八〇
一 売り場の修復と社屋の補強―昭和二十年秋より二十三年― 二八九
〔1〕 売り場の修復 二八九
〔2〕 復旧の手始めは売り場の退避所の撤去から 二九〇
〔3〕 店内の退避所と店頭の退避壕 二九一
〔4〕 修復後の売り場は通常"喉元"まで 二九二
〔5〕 社屋の補強工事 二九三
二 復員社員の職場帰還―昭和二十年秋より二十二年― 二九三
昭和二十一年二月末の三省堂書店社員一覧 二九四
三 復員社員に聴く当時の様相―対談・座談会より― 二九六
〔1〕 〈対談会〉で語る山岸徳一 二九六
〔2〕 〈座談会〉で語る浜田一明 二九八
〔3〕 〈座談会〉で語る杉山忠五 三〇〇
四 「学生のデパート」復活の発想―昭和二十三年― 三〇三
〔1〕 「学生のデパート」復活の発想 三〇三
〔2〕 復活「学生のデパート」の構図 三〇四
〔3〕 洋品売り場の欠落 三〇五
〔4〕 時機的によかった「学生のデパート」復活 三〇五
〔5〕 「学生のデパート」復活後 三〇五
〔6〕 当時の経済界と三省堂書店 三〇六
五 入社後の10年を回想する 白石雄二―昭和二十五年より三十五年― 三〇七
〔1〕 〈回想〉入社前後 三〇七
〔2〕 〈回想〉三白景気に便乗した繊維製品 三〇九
〔3〕 〈回想〉洋品売り場の復活を急ぐ 三〇九
1 一課と二課と区別 2 洋品売り場の復活 3 クリスマス用の包装紙
〔4〕 〈回想〉目覚ましい語学レコード売り場の開拓 三一〇
語学レコード・語学テープ(カタログ)〔写真ページ〕 三一一
〔5〕 〈回想〉銀座店開業と撤退 三一四
1 発端 2 開店 3 開店後 4 閉店
〔6〕 〈回想〉三省堂画廊の開設 三一六
1 画廊の計画 2 画廊の思い出、あれこれ
〔7〕 〈回想〉営業食堂の新装 三一八
〔8〕 〈回想〉全国自習書大会開催のころ 三一九
〔9〕 〈回想〉文献製本部門を設ける 三二〇
六 出版業界と三省堂書店(昭和二十五年より昭和三十五年)―売り場構成は拡充・拡張の連続― 三二一
〔1〕 日本の経済事情と出版御愉快 三二一
〔2〕 昭和二十六年―昭和三十年 三二二
〔3〕 昭和三十一年-昭和三十五年 三二三
〔4〕 三省堂書店の場合 三二四
〔5〕 テナント売り場の去就 三二五
七 多店化と人材養成―ファームグラウンドは神田店― 三二六
〔1〕 昭和二十年代入社の人々 三二七
〔2〕 昭和三十年代に入社した人々 三二九
八 杉山メモは語る―もう一つの戦後の三省堂書店史― 三三二
〔1〕 昭和二十二年より同二十四年まで 三三二
〔2〕 昭和二十五年 三三三
〔3〕 昭和二十六年 三三四
〔4〕 昭和二十七年 三三五
〔5〕 昭和二十八年 三三五
〔6〕 昭和二十九年 三三五
〔7〕 昭和三十年 三三六
〔8〕 昭和三十一年 三三六
〔9〕 昭和三十二年 三三七
〔10〕 昭和三十三年 三三八
〔11〕 昭和三十四年 三三九
〔12〕 昭和三十五年 三四〇
九 戦後最もよく読まれた本から―昭和二十一年より昭和三十五年― 三四一
第五期 三省堂書店の多店化時代(昭和36年~昭和56年) 三四五
年表 (株)三省堂書店の歩み〔(株)三省堂の歩み〕―出版・書籍業界―世相の動き 三四六
一 変貌する神田とアダルト化する三省堂書店―商阿三十六年より三十九年― 三五六
〔1〕 変貌する神田 三五六
〔2〕 いわゆるドーナッツ化の進む中での神田 三五七
〔3〕 本拠地神田と「神田の三省堂書店」 三五八
〔4〕 アダルト化を図る三省堂書店 三五八
1 戦前と戦後の小売書店 2 アダルト化と取り組む首脳部 3 本拠地の基盤をより強固にするために
二 三省堂書店、多店化のコンビ―決断する亀井辰朗社長 推進する白石雄二専務― 三六〇
三 三省堂書店と出店の構想 白石雄二 三六二
〔1〕 戦後型書店と変化したサービス 三六二
〔2〕 他業種との競合点を考慮する 三六三
〔3〕 書店の立地条件と適正規模 三六四
〔4〕 多店化の必要性と従業員 三六四
〔5〕 その他の要件 三六五
〔6〕 結び 三六五
四 多店化に踏み出す三省堂書店 三六六
〔出店第1号〕 自由ヶ丘店 三六六
〔出店第2号〕 新宿京王店―社史に記録として― 三六六
〔出店第3号・第4号〕 三鷹店と大井店 三七〇
三鷹店の場合 三七〇
出店第四号となった阪急大井店 三七一
〔出店第5号〕 新宿西口店―小田急百貨店スカイタウン12階― 三七二
〔出店第6号・第7号〕 渋谷店と池袋店 三七三
〔1〕 渋谷店 三七三
1 渋谷店の立地 2 地元の学校群の強み 3 マイナス点もそれなりに
〔2〕 池袋パルコ店 三七六
(資料)池袋パルコ店の思い出 源内正 三七六
〔出店第8号〕 神田アネックス店の開設―洋書と専門書の書店― 三七七
〔出店第9号〕 札幌店―沼尻・鈴木の店長リレー― 三七八
〔出店第10号・第11号〕 西船橋店と高田馬場店 三八〇
〔1〕 西船橋店 三八〇
〔2〕 高田馬場店 三八一
〔出店第12号〕 国鉄名古屋ターミナルビルに 三省堂書店の名古屋店 三八二
☆出店からの六年間☆ 田中貞夫 三八三
〔出店第13号〕 旭川店 PART Ⅰ 三八五
〔出店第14号〕 調布店 三八七
〔出店第15号〕 旭川店 PART Ⅱ 三八八
五 後に続くわが社の人材―昭和四十年代に入社の人々(昭和55年9月現在)― 三八九
六 多様化に伴う商品開発部の発足―商品企画管理部の組織― 三九三
七 洋書部門の歩みから(1)―昭和二十七年より四十四年― 宮島家太郎 三九四
〔1〕 独立した洋書売り場 三九四
〔2〕 シェアを広げる 三九五
〔3〕 海外業界視察 三九七
|思い出|1 大塚先生とシェイクスピア二つ折り本 三九七
2 西村孝次先生とロビンソンクルーソの話 三九八
八 洋書部門の歩みから(2)―昭和四十四年より現在まで― 野村知成 三九九
〔1〕 「別館」と称した木造の建物へ移る洋書課 三九九
〔2〕 アネックスビルへ移る 四〇一
〔3〕 海外視察 四〇二
〔4〕 期待する新入メンバー 四〇二
〔5〕 洋書外商係との分離 四〇二
〔6〕 名古屋洋書営業所の設置 四〇二
九 外商部門を振り返る―明治・大正・昭和にわたる部門の話― 四〇三
〔1〕 いわゆる店売りと外売り 四〇三
〔2〕 三省堂書店の場合 四〇四
(参考)江戸期における寺子屋用教材 四〇五
(資料)外売課時代のOBよりの寄信 四〇五
十 三省堂ブックプロモーション創立―三省堂書店の特別書籍外販部門(略称S・B・P) 四〇六
十一 株式会社 創英社の設立―三省堂書店のニーズ、速読者のニーズに答えるために- 四〇七
十二 こうして今の包装紙は出来た―ユニークな読者グループのデザインー 四〇八
十三 新しいPR用「未踏」の発刊―昭和四十六年一月より― 四〇九
〔1〕 創刊当時はスクール壁新聞のタイトルで 四〇九
〔2〕 創刊第一号に高村光太郎氏の詩を 四一〇
創業百年史出版を祝して 岡田喜一 四一一
駿河台下の三省堂書店 斎藤政秋 四一二
十四 新・三省堂書店ビルの完成 四一五
〔1〕 改築前に懸案解決 四一五
〔2〕 解体工事直前に新学期売り出し 四一七
〔3〕 旧事務所と売り場の一時移転 四一七
〔4〕 旧社屋解体より新社屋改装工事進行の過程 四一七
十五 新社屋竣工披露パーティーと新・神田本店オープンの日 四一八
〔1〕 一日がかりの披露パーティー―披露宴で来賓へ配られた亀井社長のあいさつ状― 四一九
〔2〕 新・神田本店のオープン第一日 四二〇
あとがき 四二二